振動人生記録 by gifdog97

情報学,音楽,秘境,旅

調の基礎の勉強

音楽について基礎的なことを知らなさすぎる(忘れている面もあるが)と思ったので、音楽をやっている人とちゃんとコミュニケーションを取れるようになるため洗いざらい勉強し直したい。

読んでいる本はこちら。

やさしくわかる楽典

やさしくわかる楽典

 

 Lesson3くらいまではほぼ常識的な話しかないが、最後には実際のオケ譜面の解説まで載っている(運命の冒頭100小節程度)。随所に挟まれるコラムも面白い。僕のようなにわかにはぴったり。

とりあえず今日はLesson4の調について。

 

ドイツ語音名

ドイツ語:CDEFGAH(ツェー・デー・エー・エフ・ゲー・アー・ハー)

シャープ(嬰)は語尾にisを、フラット(変)は語尾にesを付ける。

ただし、EのフラットはEs、AのフラットはAs、HのフラットはB(ベー)。

 

音階

旋法・短音階長音階

音階:ある音から1オクターブ上の音へなんらかの音を並べたときの音の連なり。最も一般的な呼称で、7音から構成されている必要もない。

旋法:音階にある程度秩序を与えたもの。wikipediaには「旋律と背後に働く音の力学」と洒落たことを書いている。古代ギリシャでは教会旋法と呼ばれる6種類の旋法(ドリア・フリギア・リディア・ミクソリディア・エオリア・イオニア、順に主音がDEFGAC)が存在しており、これらをもとにグレゴリオ聖歌が歌われていた。教会旋法ルネサンス時代(16世紀いっぱい)まで使われ、そのうち新しい二つ、イオニア旋法から発達したのが長音階で、エオリア旋法から発達したのが短音階。なお、残りの4つも現代で全く使われないわけではなく、ドリアンスケールとかフリジアンスケールとか呼ばれる。現代では他にも名前のついた旋法が結構沢山ある。

長音階:ドレミファソラシド(イオニア)。全全半全全全半。当然主音によってシャープやフラットの付き方が変わる(調号)。

短音階:ラシドレミファソラ(エオリア)。短音階には「自然短音階」「和声短音階」「旋律短音階」の3種類がある。自然短音階はエオリアの音階そのもの。和声短音階は、エオリアの最後の2音が全音となっており終始感に乏しいのを解決するため、第7音を半音上げた音階。旋律短音階は、和声短音解で第6音と第7音の音程が増2度で歌いづらいことを解決するため、第6音も半音上げた音階。ただし、旋律短音階では下行の際は自然短音階と同じ形をとる(歌いづらくないため)。旋律短音階が最も頻繁に使われる。全半全全全全半。

長音階短音階は旋法の部分集合。旋法は音階の部分集合。

旋法・短音階長音階

旋法の第1音を主音、第4音を下属音、第5音を属音、第7音を導音と呼ぶ。第3音を中音と呼ぶ(あまり使わない?)。他の音にも名称はあるがほぼ使われない。

調と調号

調号の付け方の規則は、シャープは「ファドソレラミシ」の順(5度ずつ、上昇)、フラットは「シミラレソドファ」の順(5度ずつ、下降)。シャープ系の長音階の主音は、最後にシャープが付いた音の半音上。フラット系の長音階の主音は、最後にフラットが付いた音の完全4度下(2つ前にフラットが付いた音)。また、短音階の主音は、長音階の主音の短3度下(エオリアとイオニアの対応関係に基づく)。このことから、調号と調の名称との対応が取れる。ドイツ語での調の名称は、[音名]-[dur|moll]という形。[音名]は主音を、[dur]は長音階、[moll]は短音階を意味する。なお、(シャープの個数)+(フラットの個数)=12となるような調は名前が違うだけで実質同じ音階を表している。したがって、調号が7つ以上あるような調は、それに対応する調号が5個以下の調のものとして書かれるのが普通である。ただし、転調などの関係で使われることもある。

 

 

とりあえず今日はここまで。明日から旅行に出かけるので、また数日後に続きをやる。近親調、転調とか。その次は和音。

調号の付け方とか、シャープ+フラット=12とかの規則には必ず理由があると思うので、そのあたりも考えたい。

 

簡単なシェルスクリプトを書く

情報科学をやっているしちょっとは技術的なことも書いてみる。恐らくだいぶ簡単な話なので誰かのためになることはほぼ想定していない。自分の備忘録用に書いておく。

3Sでシェルスクリプトを書かされたのだが、「は?」という感じでそれきり使わなくなっていた。3Aの明らかにシェルスクリプトを書いた方が楽に処理出来そうな課題も、そもそもシェルスクリプトの恩恵をちゃんと認識していなかったこともありマンパワーでこなしていた。

さて、最近アルゴリズムの勉強をしており、いくつかのアルゴリズムについて処理にかかる時間の比較をしたくなった。もちろん実際はO記法で結果はある程度分かっているのだが、実際にどれほど差があるのか数値で確かめてみたいのが人情というものである。そこでやっと重い腰を上げてシェルスクリプトの書き方を勉強し直すと、思ったほど大変ではなかったのでささっと書いてみた*1

ここでは蟻本の最初に書いてあるくじびきアルゴリズムの時間計測を行う。問題の概要は本筋から外れるので省略するが、3通りの実装があり、それぞれ計算量はO(n^4)O(n^3\log n)O(n^2\log n)となっている。さて、実際どれほど差があるのか。

ひとまずアルゴリズムをそれぞれkujibiki1.cpp, kujibiki2.cpp, kujibiki3.cppに書き、Makefileで実行ファイルをmain1, main2, main3と指定。
また、入力用のファイルを作成するコードを適当にmake_testfile.cppとかに書く。
その上で実際に時間計測を行うシェルスクリプトを書くと次のようになった。

#!/bin/bash

make testfile
./make_testfile
make kujibiki1
make kujibiki2
make kujibiki3

echo

for i in 1 2 3
do
echo "kujibiki$i:"
time ./main$i < testfile.txt
echo
done

make clean


cとかで時間計測をする場合はgettimeofdayとか使わなくてはならないが、シェルスクリプトの場合はtimeというクソ便利なコマンドがあり、実際の実行時間に加えて、ユーザモード・カーネルモードでの実行時間まで出力してくれる。
ちなみに入力サイズn=200としたときの実際の実行結果はこちら。

g++ -o make_testfile make_testfile.cpp
g++ -o main1 kujibiki1.cpp
g++ -o main2 kujibiki2.cpp
g++ -o main3 kujibiki3.cpp
kujibiki1:
No
real    0m0.506s
user    0m0.484s
sys     0m0.000s

kujibiki2:
No
real    0m0.068s
user    0m0.063s
sys     0m0.000s

kujibiki3:
No
real    0m0.017s
user    0m0.016s
sys     0m0.000s

思ったより差が出ました。アルゴリズムすごい。

当たり前だけど、このあといろいろ数値を変えたりアルゴリズムを改良したくなったら、該当のソースコードを変えてシェルスクリプトを叩くだけで全部勝手にやってくれる。シェルスクリプト普通にクソ便利だった(超今更)。Makefileとか工夫したらもっと効率的に書けるのかもしれない。とりあえず今後はシェルスクリプト積極的に使っていろいろ勉強する。

あと初めてブログにTeX表記やソースコードを埋め込んだけど謎の達成感がある。簡単だったので今後も何かしら投稿していきたい*2

*1:もっといろいろやろうとしたら大変なのだろう。

*2:たぶんしばらくはしょうもない備忘録が続くと思うけど、そのうち生産的なことやって公開してみたいなあ。

満たされる感覚

今日の15時頃、大学での所用を終えたところで、さてこの次どうしようとなった。

今はテスト期間の上にインターンの面接も控えているので、さっさと家に帰るか学校に残るかして勉強に取り組まなくてはならないのだが、天気の良さに触発されてなにか自然を見に行きたいと思った。

割と強い感情だったので、欲に従い勉強をほっぽり出して帰り道にある六義園に寄ることにした。

登下校のたびに気になっていたのでやっと行けて満足である。

 

庭園に入るとすぐに大きな池が見られ、島や木々、橋が見事に調和していた。美しい景色だった。冬以外の季節に来ればもっと綺麗なのだろう。

 

道なりに進み、「滝見茶屋」という場所に着いた。

東屋があったので入ってみる。

左手では、どこかから引いてきたのだろう、水が音を立てて落ちている。

右手では、その水が流れた先の落差があるところでまた音を立てている。

左右から水の音を感じられる場所であった。

東屋と水の流れる様子とがマッチした綺麗な景色だった。

 

そのとき、にわかに自分の中で承認欲求が顔を出し始めた。この美しい景色の写真をSNSとかに上げれば、結構いいねとか稼げるのでは。

そう思いすぐにその場で写真をパシャリ。Twitterに投稿。いいね間違いなし。

Twitterを閉じ、それから自然に感じ入ることにした。

 

普段であればTwitterになにかしら投稿したらすぐに反応が気になってくるものなのだが、自然に身を置いていると不思議とそういう気持ちにはならない。

水の音と鳥の声が心地良い。

緑が心を落ち着けてくれる。

いろいろな感覚を使い、自然を楽しんでいた。永久にそこにいられると思った(実際は寒くなってきたら去らなくてはならないが)。

 

この「満たされる感覚」を忘れたくないな、とふと思った。

それから考え事を始めた。

自分はなぜ自然に身を任せることで「満たされる感覚」を得ているのか。

ひょっとすると、水や緑は命の源であり、それを目の当たりにして本能的に安心感を得ているのかもしれない。

そうだとすると(突き詰めてみると、我々は何かしらの仮定を置かないと考えを進められないと思う)、自分がTwitterを見なくなった理由もわかる気がする。

 

心理学者のアブラハム・マズローは欲求を5段階に分けたが、その中の上から二番目の次元に「承認欲求」があり、一番下の次元から順に「生理的欲求」「安全への欲求」がある。

これを元に考えると、自然から享受する「満たされる感覚」は、より低次の欲求に近いものではなかろうか。

もちろん承認欲求も無いと大きな不安に駆られるが、それを過剰に追い求めなくとも「満たされる感覚」は得られるのだ。

このことを忘れると、我々は承認欲求を満たそうと奔走し、ともすれば常に満たされない感覚に陥る。

この生き方は精神を疲弊するだけであろう。

 

他人からの承認を過剰に受けずとも、我々は十分満ち足りることが出来る。

そんなことに改めて気づかされる体験であった。

 

奇天烈音楽入門

この記事はISer Advent Calendar 2018の14日目として書かれました。昨日はるんおじさんによるでした。

 

18erのどーくんという者です。音楽が好きなので、音楽について書きます。

Advent Calendarですが、ここまでほぼ全員が情報科学に関することを書いており、完全に流れをぶった切ってしまいますが、直前になっても枠が余っていたので穴埋めとして書きます。お許し下さい。

 

元々タイトルは「偏愛的音楽入門」としようと思っていましたが、別に自分は何か偏ったジャンルが好きなわけではないので「奇天烈音楽入門」としました(いや、偏りがちではありますが、、)。

奇天烈というと普通とは違うみたいな意味合いがありますが、そもそも「普通」とは主観的なものであり、あくまで僕が奇天烈だと思っているものを述べるにすぎません(異国の民族からすれば日本のpopミュージックだってきっと奇天烈なものでしょう)。しかし、僕は宇宙一普通の感覚の持ち主なので(???)、きっと皆さんも奇天烈に感じるでしょう。

 

さて、奇天烈といってもいろいろな切り口があります。拍子、音程、曲展開などなど。とりあえず拍子なんかは絶対的なもので分かりやすいのでそこを切り口にしてみましょう。

 

初めは日本のバンドKensoの「月の位相 I」です。

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拍子というと、よく耳にするものは4/4や3/4がほとんどです。1,2,3,4とか1,2,3というように数えるとぴったり合うということです。ところがこの曲はその数え方をしてもはまりません。大雑把に言ってしまえば、これはいわゆる変拍子と呼ばれるものです。

Kensoはロックの流派の一つである「プログレ」というジャンルの音楽ですが、殊に変拍子の扱いがうまいです。冷静に数えてみると拍子はおかしいのですが、何も考えずに聞くと自然に耳に入ってきませんか?言うなれば自然な変拍子と言えます。

 

Kensoは日本のバンドですが、日本のプログレバンドは変拍子がかなり奇天烈な印象があります。実際のところ、日本の音楽というのは元々独特の拍子感覚を有しています。

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みんな知っている「あんたがたどこさ」も、全然4拍子とかじゃないんですね。この動画はまりで拍子をとっているので分かりやすいですね。だけど体に染みつくリズムです。

 

国が違えば感覚も違い、例えばイタリア地中海のプログレはこんな感じのリズムです。

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5拍子を主体に中間部では6拍子が現れます。Kensoと違うのは、途中で拍子がめまぐるしく変わったりしない点です。踊りとかと関連しているからなのかな、と思いましたが、踊りの関係した音楽全てがこのように一定のリズムなわけではありません*1

Farmers Marketはブルガリアの舞踏曲をロック風(?)にアレンジしたバンドで、こんな曲をやっています。

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Kensoより拍子の分かれ目が分かりやすいのが救いですが、目まぐるしく拍子が変わりリズムに乗るのが大変です(僕は何度も聴いて慣れてしまいました。大丈夫なのでしょうか。)。

 

いつの間にか民族音楽的アプローチになりつつあります。それではここで一旦拍子から離れて変わった音色の民族音楽を聴いてみましょう。南米の伝統的な音楽である「タルケアーダ」の一曲です。

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南米の民族音楽について話し始めると記事一つ分になるので、興味のある方はこちらを参照してください。このタルケアーダは結構現代的(?)で聞きやすい分類の気がしますが、ここで使われている「タルカ」という楽器は中毒性のある不思議な響きをしているなと思います。拍子感覚もまた違って面白かったりするわけですが、、。

 

変わった音色と言えば、見知った楽器を魔改造するという手法もあります。クラシック音楽作曲家 John Cage のプリペアドピアノが良い例です。

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プリペアドピアノとは、動画のように、ピアノの弦に粘土や釘、洗濯ばさみを挟んで音色を変化させたものです。何をしてんねんという感じですが、こうすることでピアノの可能性が広がったと言えます。実際の曲においては、譜面にどのようにプリペアするか明確な指示があるようです。

 

ピアノを魔改造した例は他にもあり、ロシアの作曲家 Wyschnegradsky は四分音ピアノというものを開発しました。その名の通り、現状のピアノの各音の真ん中に新たな音を追加したようなピアノです(1オクターブ=24音)。

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今までずっとドからシの12音で調性とか考えてきたのに何をしてくれてんねんという感じですが、これもまた音楽の可能性を広げる試みの一つと言えます。

 

ただ、12音だけでも調性のおかしい音楽は作れます(宇宙を調査する前に地球を調査してみても、不思議なことはまだまだ沢山あるわけです)。

クラシックが続いたのでもっとポップな音楽にしてみましょう。次の紹介するのは、Amoebic Ensembleという超マイナーなバンドの音楽です。

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彼らは使っている楽器もなかなか特殊ですが、何と言っても音の並びが奇妙です。これはいわゆる「十二音技法」と呼ばれる、12個の音をすべて平等に扱う音楽の一種です。普通の音楽には「調性」と言って音の並びにある程度のルールがあるのですが、それを全て取っ払ってやろうという試みです。

 

そんなことより食器みたいなものを叩いているおっさんが気になりますか?プリペアドピアノといいAmoebic Ensembleといい、楽器でないものを楽器としてしまう例は案外あるものです。こんなのはマイナーシーンだけかと思いきや、かつて日本で一斉を風靡したたまというバンドも似たようなことをしています。

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紅白に出演しているくらいなので、一つ上の世代は知っている人も多いみたいです。分かりづらいですが、彼らも桶や空き缶を打楽器として使っています。聴きやすさはありますが明らかに奇天烈で、これが人気の出た時代もあったのか、という気持ちになります(本当に素晴らしい音楽ですが)。

奇妙なものが常識になることもあり得るんですね。しかしバンドが有名になるか否かは、(悲しい哉、)やってる音楽のみに依存するわけではないので、四分音ピアノや爆裂変拍子現代日本の常識となる日も近いですね(絶対に来ないでしょう)。

 

なんか良い感じにオチがついちゃいそうなのでそろそろ終わりにします。最後にゴリ押しで僕が最も好きな曲を紹介して終わりたいと思います。僕は一番初めにはまった音楽がヘビーメタルなので、バリバリのメタルを紹介しておきたかったんですよね。

Unexpectというカナダのアヴァンギャルドメタルバンドの一曲です。

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拍子や音の並びがすごく異常なわけでもありませんが、曲展開や楽器の使い方が一般のメタルのそれと違いやはり奇天烈な一曲と言えます。それでいて単純にカッコ良い。奇天烈さと彼らの色と聴きやすさとを奇跡的なバランスで保っている珠玉の一曲だと思います。

 

そういう感じで僕の記事は以上です。書いてみると永久に書けてしまいそうで大変でした。興味を持たれた方は是非お話しましょう。

 

明日はMisterさんのWavelet Matrixです。つよそうですね。

 

*1:本当はここでStravinskyバレエ音楽春の祭典」を紹介したかったのですが、いかんせん曲が割と長い上、変拍子について書いている部分が多過ぎちゃうのでやめます(もっとも、この曲の魅力は拍子だけでは語り尽くせませんが)。神曲なので是非ともYouTubeで聞いてみてほしいです。

強い人々の集団に属するということ

自分は今主に二つの集団を軸に活動している。学科(理学部情報科学科)とオケのサークルである。この二つの集団は、自分にとっては「強い人々の集団」である。

 

恐らく学科の外にももっと情報科学に強い人々はいるだろう。オケのサークルなどはなおさらで、プロのオケなどとは比べ物にならないはずである。しかし、「強い」とは相対的なものであって、自分にとってはどちらも「強い人々の集団」である。

 

なんだかんだ言っても東大だから、学科には本当に優秀な人が集まっている。(本人たちは妙に卑下しているのだが、それは恐らく彼ら自身にとってさらに強い人々が別に存在するという話であろう。)また、オケの方には長くしっかりとレッスンを受けているような人が一定数存在する。こういう人がそこそこの人数いるのは、クラシックならではな気がする。そんな彼らに自分は到底敵いそうもないと感じ、一種の絶望を覚えたりもする。

ところで自分は民族音楽愛好会というところでフォルクローレもやっているが、実をいうと学生のフォルクローレ経験者と接した中でこのような絶望を目にしたことは無い。もちろん上手な人はいるのだが、「これはもう自分の手には負えない」みたいな絶望感を感じさせるほどの人は知らない(もちろんプロの演奏家の皆さんはそうなのだが)。

 

この差の原因は恐らく単純で、どれだけ時間をかけてきたかによるのだろう。クラシックの楽器はそれこそ小さい頃から習わされて嫌でもうまくなったりはする。自分もピアノを10年以上やっていたが、さすがにまあまあ弾けていた(もう何も出来ないけど)。

情報科学はそこまで小さい頃というのは考えずらいが、元々頭の良い人たちであるから、数年早く興味を持って取り組み始めただけで相当な差が生まれるのではないかと思う。ぶっちゃけ憶測だけど、そんなに間違いではないと思う*1

フォルクはほとんどの人が大学スタートであるから、普通は実力に圧倒的な差が生まれたりはしない。(某中高出身者はやはり上手いが…。)

 

あまり絶望とかいうとめちゃくちゃ悪い感じがするのだが、決してそうではなくて、間違いなく良い刺激になっている。この世にはこのような人が存在するのか、凄いなという気持ちになって、彼らほどでなくても、自分もそれくらいを目指して頑張りたいというモチベにもなる。しかし、さりとて絶望、ぶっちゃけ辛いことの方がだいぶ多いのである。ちょっとやそっと頑張ったところで1ミリも近づきやしないし、自分の不甲斐なさにしんどい気持ちになったりする。

このような絶望を前にして自分はどうあるべきなのかということを真剣に考えさせられたりする。「自分が楽しいように出来れば良いのだ」というのが模範解答のような気がするが、自分はまだこれを解答と思えない。正直言ってまだまだ自分は不自由で、楽しいように出来ないのだ。これは今まできちんと時間をかけてオケや勉強に向き合ってこなかったツケであり、これから先多少なりとも苦しい思いをしてなんとかしなくてはならない部分だと思う。

 

なんだか苦しみの記事みたいになってしまったが、不自由でも憧れは常にあるし、ほんの少しでも自分に出来ることが増えたり、オケだったら人と合わせたりするのはやっぱり楽しいのである。だから続けていられるし、これから先凄く楽しみでもある。

当分は強い人々の中で自分が何を出来るのかということをぼんやりと考えつつ、真摯に時間をかけて取り組み、ちょっとずつでも憧れに近づくことを、苦しみながらも楽しんでいければたぶん良いんだと思う。

 

(ふわふわした記事であった)

 

*1:ちなみに別に昔からプログラミングとかやってたわけではないけど強い人もいて、それは単純にめちゃくちゃ頭が良いだけである。それはもうどうしようもないし完全なる絶望しか生まれない。

僕がオタクに憧れる理由

2週間ほど前、お昼の情報番組でいじめについて取り上げられていた。MCの方とゲストの芸能人とコメンテーターの人で議論するといったよくある構図だった。

この番組にコメンテーターとして出演していたいじめ問題に関する准教授の方が個人的に凄いと思ったので、そこで感じたことやいろいろ考えたことをメモしておく。

 

准教授や教授と言った立場にある人は、ある学問分野の「オタク」である、と言ったら語弊がありそうだが、大体そんなものではなかろうか。ここでの「オタク」は、ある分野に精通しているものを指す。

 

先の番組では、MCと芸能人の方が准教授の方のコメントに対し的外れな批判(お茶の間的な反応?)をしていた。

MCや芸能人の方が「いじめに気付けなかった先生は悪い」といった主張をするに対し、准教授の方は「いじめはもっと構造的な問題であり、先生が悪いと決めつけるのは誤りだ」といった主張をした。それに対しMCの方は「いじめで人が死んだのに、先生を擁護しているかのようでは?」といった不適切な反応。芸能人一同も似たような反応を示し、スタジオの空気が明らかに悪くなっていた。

 

その後も准教授の発言のあるたびにMCや芸能人一同が否定的な反応をし、明らかに場の雰囲気が悪くなっていった。

こんな状況にも関わらず、准教授の方は自身の研究・調査によって裏付けられた事実を淡々と述べていた。

これは、もしかしたら当たり前のことなのかもしれない。しかし、そこまで気の強そうな人にも見えなかった准教授の方が、場の空気に流されずきちんと自分の意見を主張しているシーンは、僕の目には物凄くカッコ良く映った。

 

なぜこれほどまでに自信を持って自らの意見を主張できるのか。それは、彼がいじめに関する専門家であり、その分野に真摯に長時間取り組んでいるからである。自分の主張が決して誤りではないと、骨の髄まで理解しているからである。

このような自信は生半可な勉強では身に付かない。世のオタクたちは、ある分野に真摯に長時間取り組み続け、そして技能を己のものにしていくわけである。

 

ここで自分や自分の周りの人々を顧みてみる。

自分はそこそこ難しいことをやる学科にいながら、サークルを2つ掛け持ちし楽器に打ち込もうとしている。これでは1つのことに時間をかけられず、どれも自信を持てない。例えばこれから情報科学を学ぶ人に何かを伝えようにも、僕からはあやふやな言葉しか出てこないだろう。あるいは、後輩にケーナやチェロの演奏の仕方を聞かれても、うまく答えることが出来ないだろう。

それに対し、昔からプログラミングに興味があった人たちは自信を持って議論をするし、長年楽器に取り組んでいた人たちも、やはり自分なりの演奏の仕方を確立していて、自信を持って演奏する。

そんな彼らでさえ「難しい、分からない」と言うことが沢山ある。これはきっと本心で言っているのであって、ものごとは思ったより深いことを実感する。そのたびに、自分は(情報科学にせよ楽器にせよ)未だ模索の段階のほんの入り口地点にしかおらず、自信を持って主張できることがほとんど無いのだなと感じる。

 

以前知り合いにこのことを打ち明けてみたところ、「いろんなことに手を出す人は一つのことしかやらないような人に羨まれていることに気が付かない」というふうに言われ、少しはっとしたが、もしかするとこれは「となりの芝生は青い」という話なのかもしれない。

しかし少なくとも自分では現状を少し後悔している。やはり自分はオタクに憧れているのかなあと思う。

 

かつて「(情報科学がんばるんなら)兼サーはしないでおけ」と助言してくれた友人からすれば、そら見たことか、という話かもしれないが、「実際に体験することで身をもってしんどさが分かったぞ」というささやかな反論をしておきたい(反論になっていないですね)。

ただ、この世には楽しいことが沢山あることを知れたのは、実は良かったのかもしれない。将来的にそうやって骨の髄まで感じられれば、僕は「『いろんなことに手を出す』オタク」だったことになるので万々歳である。

 

apple musicでアウトクトナが聴ける

先日apple musicに登録してみた。学生は月480円だし、3ヶ月間無料だし、登録して損は無いと思ったのだ。

結果的に大当たりで、オーディオファイルだから読み込みも速いし、曲数も豊富だ。驚いたのは自分がやっている南米の民族音楽(フォルクローレ)の楽曲もしっかり聴けること。ダウンロードもできるので練習のときに大助かりだ。(もちろんクラシックも聴けて、オーケストラサークルの方でやる曲もダウンロードできた。)

ただ、何らかの圧力が働いているのか、筋肉少女帯king crimsonといった超大御所の曲がほぼ聴けないという謎事案が発生していた。このあたりはappleさん頑張ってくれという感じ。

 

もっとも驚いたのは、南米の原住民の音楽「アウトクトナ」もばっちり聴けたことだ。これはフォルクローレの一種と言えるかもしれないが、自分たちがやっている「コンフント」と呼ばれる形式の音楽とはまた別物と捉えた方が良い。

(アウトクトナについては過去のエントリでも詳しく書いたし詳しい説明はこっちに丸投げします。)

gifdog97.hatenablog.com

 

うちのサークル、アウトクトナもやらないことはないんだけど、儀式的な要素が強くて元々ステージ上で人に聴かせる音楽というわけではないし、たぶん客受けがそんなに良くない。「これぞ民族音楽!」という感じの音楽なので客受けが無いというわけではないが、こういうのは一回聴いて「へーこういうのもあるんだ」となって終わるのが常である。やはりスペイン人の入植後に発達した「コンフント」の方が、欧州文化を根に持つこともあって客受けが良い、というのが自分の見解である。

 

という感じでただ思ったことをつらつら述べただけの記事でした。とりあえず「コンフント」と「アウトクトナ」とを一曲ずつ紹介して終わりにする。まあめんどくさいのでリンク貼るだけなんだけどね。

 

・「コンフント」形式。弦楽器が豊富に使われており、欧州文化を色濃く反映している。世界的にはこの形式が有名。

Jach'a Mallku - Quisiera Quererte Más


JACHA MALLKU - QUISIERA QUERERTE MAS

 

 

・「アウトクトナ」。原住民の音楽。土臭く、まさに民族という感じの響き。これがapple musicにあるのが面白い。


WARA - Mi Balsita (MAYA-1975)