振動人生記録 by gifdog97

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僕がオタクに憧れる理由

2週間ほど前、お昼の情報番組でいじめについて取り上げられていた。MCの方とゲストの芸能人とコメンテーターの人で議論するといったよくある構図だった。

この番組にコメンテーターとして出演していたいじめ問題に関する准教授の方が個人的に凄いと思ったので、そこで感じたことやいろいろ考えたことをメモしておく。

 

准教授や教授と言った立場にある人は、ある学問分野の「オタク」である、と言ったら語弊がありそうだが、大体そんなものではなかろうか。ここでの「オタク」は、ある分野に精通しているものを指す。

 

先の番組では、MCと芸能人の方が准教授の方のコメントに対し的外れな批判(お茶の間的な反応?)をしていた。

MCや芸能人の方が「いじめに気付けなかった先生は悪い」といった主張をするに対し、准教授の方は「いじめはもっと構造的な問題であり、先生が悪いと決めつけるのは誤りだ」といった主張をした。それに対しMCの方は「いじめで人が死んだのに、先生を擁護しているかのようでは?」といった不適切な反応。芸能人一同も似たような反応を示し、スタジオの空気が明らかに悪くなっていた。

 

その後も准教授の発言のあるたびにMCや芸能人一同が否定的な反応をし、明らかに場の雰囲気が悪くなっていった。

こんな状況にも関わらず、准教授の方は自身の研究・調査によって裏付けられた事実を淡々と述べていた。

これは、もしかしたら当たり前のことなのかもしれない。しかし、そこまで気の強そうな人にも見えなかった准教授の方が、場の空気に流されずきちんと自分の意見を主張しているシーンは、僕の目には物凄くカッコ良く映った。

 

なぜこれほどまでに自信を持って自らの意見を主張できるのか。それは、彼がいじめに関する専門家であり、その分野に真摯に長時間取り組んでいるからである。自分の主張が決して誤りではないと、骨の髄まで理解しているからである。

このような自信は生半可な勉強では身に付かない。世のオタクたちは、ある分野に真摯に長時間取り組み続け、そして技能を己のものにしていくわけである。

 

ここで自分や自分の周りの人々を顧みてみる。

自分はそこそこ難しいことをやる学科にいながら、サークルを2つ掛け持ちし楽器に打ち込もうとしている。これでは1つのことに時間をかけられず、どれも自信を持てない。例えばこれから情報科学を学ぶ人に何かを伝えようにも、僕からはあやふやな言葉しか出てこないだろう。あるいは、後輩にケーナやチェロの演奏の仕方を聞かれても、うまく答えることが出来ないだろう。

それに対し、昔からプログラミングに興味があった人たちは自信を持って議論をするし、長年楽器に取り組んでいた人たちも、やはり自分なりの演奏の仕方を確立していて、自信を持って演奏する。

そんな彼らでさえ「難しい、分からない」と言うことが沢山ある。これはきっと本心で言っているのであって、ものごとは思ったより深いことを実感する。そのたびに、自分は(情報科学にせよ楽器にせよ)未だ模索の段階のほんの入り口地点にしかおらず、自信を持って主張できることがほとんど無いのだなと感じる。

 

以前知り合いにこのことを打ち明けてみたところ、「いろんなことに手を出す人は一つのことしかやらないような人に羨まれていることに気が付かない」というふうに言われ、少しはっとしたが、もしかするとこれは「となりの芝生は青い」という話なのかもしれない。

しかし少なくとも自分では現状を少し後悔している。やはり自分はオタクに憧れているのかなあと思う。

 

かつて「(情報科学がんばるんなら)兼サーはしないでおけ」と助言してくれた友人からすれば、そら見たことか、という話かもしれないが、「実際に体験することで身をもってしんどさが分かったぞ」というささやかな反論をしておきたい(反論になっていないですね)。

ただ、この世には楽しいことが沢山あることを知れたのは、実は良かったのかもしれない。将来的にそうやって骨の髄まで感じられれば、僕は「『いろんなことに手を出す』オタク」だったことになるので万々歳である。