振動人生記録 by gifdog97

情報学,音楽,秘境,旅

満たされる感覚

今日の15時頃、大学での所用を終えたところで、さてこの次どうしようとなった。

今はテスト期間の上にインターンの面接も控えているので、さっさと家に帰るか学校に残るかして勉強に取り組まなくてはならないのだが、天気の良さに触発されてなにか自然を見に行きたいと思った。

割と強い感情だったので、欲に従い勉強をほっぽり出して帰り道にある六義園に寄ることにした。

登下校のたびに気になっていたのでやっと行けて満足である。

 

庭園に入るとすぐに大きな池が見られ、島や木々、橋が見事に調和していた。美しい景色だった。冬以外の季節に来ればもっと綺麗なのだろう。

 

道なりに進み、「滝見茶屋」という場所に着いた。

東屋があったので入ってみる。

左手では、どこかから引いてきたのだろう、水が音を立てて落ちている。

右手では、その水が流れた先の落差があるところでまた音を立てている。

左右から水の音を感じられる場所であった。

東屋と水の流れる様子とがマッチした綺麗な景色だった。

 

そのとき、にわかに自分の中で承認欲求が顔を出し始めた。この美しい景色の写真をSNSとかに上げれば、結構いいねとか稼げるのでは。

そう思いすぐにその場で写真をパシャリ。Twitterに投稿。いいね間違いなし。

Twitterを閉じ、それから自然に感じ入ることにした。

 

普段であればTwitterになにかしら投稿したらすぐに反応が気になってくるものなのだが、自然に身を置いていると不思議とそういう気持ちにはならない。

水の音と鳥の声が心地良い。

緑が心を落ち着けてくれる。

いろいろな感覚を使い、自然を楽しんでいた。永久にそこにいられると思った(実際は寒くなってきたら去らなくてはならないが)。

 

この「満たされる感覚」を忘れたくないな、とふと思った。

それから考え事を始めた。

自分はなぜ自然に身を任せることで「満たされる感覚」を得ているのか。

ひょっとすると、水や緑は命の源であり、それを目の当たりにして本能的に安心感を得ているのかもしれない。

そうだとすると(突き詰めてみると、我々は何かしらの仮定を置かないと考えを進められないと思う)、自分がTwitterを見なくなった理由もわかる気がする。

 

心理学者のアブラハム・マズローは欲求を5段階に分けたが、その中の上から二番目の次元に「承認欲求」があり、一番下の次元から順に「生理的欲求」「安全への欲求」がある。

これを元に考えると、自然から享受する「満たされる感覚」は、より低次の欲求に近いものではなかろうか。

もちろん承認欲求も無いと大きな不安に駆られるが、それを過剰に追い求めなくとも「満たされる感覚」は得られるのだ。

このことを忘れると、我々は承認欲求を満たそうと奔走し、ともすれば常に満たされない感覚に陥る。

この生き方は精神を疲弊するだけであろう。

 

他人からの承認を過剰に受けずとも、我々は十分満ち足りることが出来る。

そんなことに改めて気づかされる体験であった。